日記・談義坊 /

瀬戸上先生「お別れ会」IN手打


 Dr.コトーこと手打診療所の瀬戸上先生が退職し、島を離れることになりました。島民は、永住してもらいたいとまで思っていただけに寂しさひとしおであります。薩摩川内市の嘱託医師(手打診療所所長)として勤務(契約)延長を続けていましたが、制約もあり、限界でもあったのでしょう。村時代であったら、融通のきく柔軟な対応もでき、瀬戸上先生の活かし方についても、いろんな選択が可能だったのかも知れませんが、仕方ありません。
 昭和53年、半年契約で赴任されたのが始まりで、以来39年間、離島医療に全てを捧げられたことになります。大げさでもなく、人生のほとんどを島のためにってことです。

 瀬戸上先生は、挨拶の中で「島にお世話になって39年、例えてみれば島に繋がれた船のようなものだったのかもしれません。しかし島のおかげで多くの人たちと出会い、人の輪が広がり、私たちの人生も豊かになったように思います。それに甑島は我が家の3人の子供たちが生まれ育った島でもあり、その島に繋がれているという安心感がありましたが、その纜(ともづな)もいよいよ断ち切らなければならない時が来たのです」と、述べられた。島に骨を埋めてもいいとまで思っていただろう先生の纜をといて島から船出する今の心境を想像すると、やるせない気持ちです。

 島を離れて、鹿児島市に移り住まれたあるご夫婦の言葉を思い出します。「一番心配なのが、夜病気になったとき、手打だと何の心配も要らなかったのに」、総合病院もたくさんあり、救急車だって、すぐに駆けつけてくれるであろう鹿児島市でです。

 我が家でも、それこそ夜中、緊急に先生のお世話になったことがありました。詳しくは述べませんが、叔母、妻、手打在中時の孫と3回もです。
 先生に命を救われた人は、多いんです。

 お別れの会は、手打と瀬々野浦、片野浦の地区コミュニティ協議会の主催で行われたのですが、250名ほどの参加でした。先生が出張診療に出掛けられる範囲の住民に呼びかけての開催でありました。コミュニティ、支所職員の皆さんのおかげでありました。

 瀬戸上先生本当にありがとうございました。「甑島とのご縁、絆がこれからも深まることを祈念します」