日記・談義坊 /

沖縄「慰霊の日」ー野中広務氏テレビで久々拝見


 6・23沖縄「慰霊の日」本土側では大きく取り上げられないが、本土を守るために、沖縄が犠牲にされ、その犠牲者24万人以上をしのぶ「慰霊の日」なのです。沖縄戦終結から72年経た今もなお、沖縄に犠牲を強い続ける日本政府。安倍首相に対して「おまえに来る資格はない。帰れ」と怒りの声を抑えることができない古老たちの姿が痛ましい。
 「沖縄の民意を顧みず工事を強行している現状は容認できない」と、訴える翁長知事の声・沖縄県民の声は届きそうもない。

 イライラしながら、テレビ報道を観ていたら、元自民党衆院議員の野中広務さんのインタビューが紹介された。もう90歳を過ぎたんですよね。今度、自民党に復党されるとか。この人ほど、沖縄に熱い思いを寄せている、沖縄に全て愛情を注がれた人はいないのではないでしょうか。少なくとも、自民党議員では。

 昔観たテレビの時事放談での古賀誠自民党元幹事長との対談はまさに沖縄問題についてでした。
 野中広務さんがこんな思いで真剣に沖縄と向き合ってきていた人だということが、画面の野中広務さんの表情と発言が胸に迫ってきたことを思い出しました。相方の古賀誠さんも、野中さんの話に胸にせまるものがあったようでした。

 なぜ、この時の対談が、印象に残っていたかといえば。亡くなった山中貞則衆議院議員の話が出ていたからなのです。
 野中氏の話。
 「亡くなられた山中貞則先生がね、私に『沖縄は琉球処分以来、日本に差別をされてきたんだ。おれは衆院議長の話もあったけれども、そういうものを断って、なんとか鹿児島の出身者として、沖縄の差別を亡くするように、沖縄が少しでも経済的に復旧してくれるように、基地が少なくなるように、おれはがんばって命がけでやってきたんだ。野中くん、君は1972年に沖縄に行って、いまの普天間基地のそばで京都の慰霊塔を建てたというじゃないか。その君がこれから、沖縄の問題についておれの気持ちをつないでくれ』と言われたのをいまも忘れることができません。」

 野中広務さんの発言を検証しようとネットで調べてみました。
 1997年4月11日の本会議での発言記録を見つけました。引用します。

 1997年5月14日に使用期限が切れる沖縄県の米軍基地用地の確保を続けるため、橋本龍太郎内閣は米軍用地特別措置法改正案を出し自民と新進が合意し、民主も賛成の意向を見せたため、圧倒的多数で可決される見込みとなった。

衆議院委員会通過後の1997年4月11日、自民の野中広務委員長は本会議での委員会報告の最後に、「この法律がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないことを、そして、私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は、再び国会の審議が、どうぞ大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わりにします」と付け加えた。

自民と新進の「保保連合」を牽制したとも、性急な審議への戒めとも云われているが、新進党はこの発言の会議録からの削除を要求し、同党の要求通り会議録から消された。
 4月11日の衆議院通過後、4月17日、自民、新進、民主さきがけ、太陽の賛成、共産、社民、新社、沖縄社大、二院などの反対で可決成立した。衆参ともに、9割前後が賛成の圧倒的多数での可決だった。社民はこの当時、閣外協力で与党だったが、本法案には反対した。

 6・23沖縄「慰霊の日」の報道の中で、上記の野中広務氏の発言が紹介されインタビューにも登場していたので、ネットで調べたってことです。