日記・談義坊 /

大往生したけりゃ 医療とかかわるな


 孫たち、やっぱり、友達や兄祐汰がいる鹿児島谷山がいいのか、帰るとなると朝も早起きです。朝飯は、ばあちゃんにおにぎりを握ってもらって、船の中で頂きました。私は、鹿児島滞在時間3時間しかありません。夜は、親子5人での水入らずの時間作ってあげようと日帰りすることにしたのです。
 チビら、映画観に連れて行って、とせがみます。「シング」を観ようかと提案しましたが、「仮面ライダー」が観たいとききません。串木野新港から、鹿児島中央駅の「鹿児島ミッテ10」に直行。仕方ないので、二人を座席に案内して、私は、書店などうろつくことにしました。

 久しぶりの紀伊國屋書店。本の題名、帯に書かれた文章を読むだけでも楽しいです。平積みの新刊書を立ち読みすることでした。
 流行なんでしょうか。「健康診断は受けてはいけない」「がん検診を信じるな~早期発見・早期治療のウソ~」「大往生したけりゃ医療とかかわるな」など、現代医療に対する問題提起なんでしょう。立ち読みしながら、納得するところも多々ありました。面白そうだったので、「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を買ってきました。ついでに「いい人生は、最期の5年で決まる」も追加。

 帰りの船の中、一気に読みました。「2025年問題の解決を目指して」とのテーマで語られていますが、要するに、「自然死のすすめ」です。今では、ほとんどの人が、病院で生まれ、最期も病院で死にます。病院では、仕事って言うか、宿命みたいなもので、当然に「延命医療」に一生懸命です。
 人間には穏やかに死ねるしくみが備わっているそうなんです。穏やかに死ぬのを邪魔しているのが「延命治療」であり、“延命介護”だという。
 考えてみると、私たちの子供の頃までは、自宅で、点滴注射や酸素吸入をされることもなく、ムリヤリ口の中へ食べものを押し込まれることもなく、好きなものを、ムリせず食べられるだけという状況で、みんな穏やかに死んでいったんだろうと思います。死は、日常の出来事でしたから、代々、文化として受け継がれていたのです。
 著者の中村仁一先生は、こう続けます。
 ところが、医療保険制度が整備され、核家族化が進んで介護力が減り、老人医療の無料化などがあり、死にかけると病院へという流れになり、人が自然に死んでいく時はどういう様相を呈するのかということが、わからなくなってしまいました。そして、未知なるがゆえに、恐ろしいものに変貌した結果、見ないように、考えないようになってしまったのです。
 もちろん、その背景には、こんなに進歩したといわれているのだから、医学が「死」すらも解決してくれるのではないか、との過大な期待があったのも事実でしょう。と。

 「死に時」がきたら食べなくなるのは自然の摂理。
 看取り期においては、医療のみならず、介護の面でも、
 ・死にゆく自然の経過を邪魔してはいけない
 ・死にゆく人間に無用な苦痛を与えてはならない。 んだそうです。納得です。

 私は、美代子さんもですが、子や孫に迷惑をかけないように「ピンピンコロリ」を願っているのですが、それは1等7億円のジャンボ宝くじに当たるよりむずかしいとのこと。「ピンピンコロリ」は、願ってもムリってことですよね。
 「死に時」がきたら素直に受け入れましょう。自然死が一番ですよね。子や孫にも伝えませんなら。できれば、在宅で畳の上で死にたいものです。

 っていいながら、明日、明後日死ぬとは思っていないのです。
 「いい人生は、最期の5年で決まる」らしいですから、75になったら、しっかり考えませんなら。