日記・談義坊 /

ザ・プロファイラーボクシングの王者アリなぜ国と闘ったのか?


 寒い。飲みに出るところも無いから、夜が長い。妻美代子さんは、録り溜めているビデオを観ている。
 私は、ベッドに入って、なにか面白い番組はないかと探していると「BSでモハメド・アリをやっているよ」と教えてくれる。
 「ザ・プロファイラーボクシングの王者アリなぜ国と闘ったのか?」の1時間番組を観ることにする。

 モハメド・アリは、昨年74才で亡くなった。同世代(アリが2才年上)の私としては、人種差別と戦い、ベトナム戦争の徴兵拒否など社会的にも注目を集めたアリを頼もしく感じていた。
 「蝶のように舞い、蜂のように刺す」アリのスタイルは格好良かった。東京に出ている時に観戦した記憶があるが、世界ヘビー級王座に返り咲いた時の、ジョージ・フォアマンとの闘い、感動したものです。

 旧名は、カシアス・クレイ。12歳のときに、父親から誕生日にもらった自転車が盗まれる。「自転車ドロボウが見つかったらタダじゃおかない。きっとぶちのめしてやる」と泣き叫ぶクレイに、ボクシングのトレーナーもしていた警官がボクシングを勧める。

 1960年のローマ五輪で金メダルを獲得。しかし、帰郷したケンタッキーで黒人だからとレストランへの入店を断られ、悔しさから金メダルを川に投げ捨てたそうな。

 1964年には、世界ヘビー級王座を獲得。試合後、本名をモハメド・アリへと改名している。アフリカ系アメリカ人(黒人)が公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った公民権運動が盛り上がりを見せており、クレイもマルコムXらが所属するイスラム教に入信し、リングネームをモハメド・アリに改めた。

 1960年にベトナム戦争が勃発。1967年、アリの良心的兵役拒否(宗教の信条や政治的、哲学的な背景に基づく兵役拒否)により、最初の裁判で禁固5年と罰金1万ドルを科せられる。ヘビー級王座とボクサーライセンスも剥奪されたのだ。アリは、その後も信念を曲げずに戦い続け、4年後の1971に最高裁判所で無罪を勝ち取っている。

 <モハメド・アリの言葉から>
 私が心から恐れるのは神の法だけだ。
 人が作った法はどうでもいいと
 言うつもりはないが、
 私は神の法に従う。
 何の罪も恨みもないベトコンに、
 銃を向ける理由は私にはない。