日記・談義坊 /

KAGOSHIMA熱闘会議初代会長・大坪さんとのお別れ


 大坪徹さんが10日早朝亡くなったとの訃報が入る。
 仮通夜が溝辺の自宅で行われるとのことで、「商工会の新春交流会」を抜け出して、車を走らせることでした。
 夜遅くでしたが、弔問客も多く、大坪さんの人脈の広さを改めて認識する。
 いつもの穏やかな顔。いつもの声が聞こえてきそうでした。
 1月27日、川内でお会いする予定でしたが、体調がすぐれないとのことで叶わなかったのです。風邪かなと安易に考えていましたが、脳梗塞で入院されていたとは。
 「大坪さん、はやすぎるが、まだまだ気張ってもらわんといけなかったのに」61歳とは、若すぎます。
 霧島市長や県議、地域おこしの仲間たちと、いつも地域おこしの中心にいた大坪さんの写真を懐かしく観ながら語ることでした。甑島瀬上出身のMくん「江口さんと知り合えたのも、大坪さんとのご縁でしたよね」。

 会葬お礼のハガキの表書きに
 「六十億分の一の確率で あなたに 出逢えたことに 心より感謝」
とありました。
 大坪さんは、KAGOSHIMA熱闘会議の初代会長でした。甑島海洋深層水の取水が実現できたのも大坪さんのおかげです。
 私が関係した地域おこし団体だけでも、バイオマス活用策を探る「霧島サンバイオ」、ストリートピアノを寄贈する「鹿児島まち自慢快発考舎」など数多くであります。
 
 甑島での会議などで、12日の告別式には参列できませんでしたが、お許しください。
 大坪さんが残してくれた、財産、人脈ネットワークを大事に受け継ぎ、育ててまいりませんなら。