日記・談義坊 /

富ケ尾移住232周年の式典に参加


 今年は、富ケ尾移住232周年に当たるとのこと。私が、麓曙会の会長になって初めての式典ということもあって、招待を受け、原崎副会長と参加することでした。
 7年前、平成21年の3月(225周年記念式典)には、曙会から25名が参加し、郷土芸能「武士踊り」も公開演舞したのでした。
 また、5年前平成23年6月には、手打での「富ケ尾・高山」移住記念碑の建立に際し、記念碑の除幕式と完成祝賀会に串良富ケ尾から25名の皆さんが参加をされました。高山からは、7名。

 「新富ケ尾音頭」の一節に「甑手打の武士(もののふ)が移り来たって礎築く」と謳われている。西暦1784年・天明四年に、手打麓地区に住む47家・205人の人々が、新天地富ケ尾の地に移住したのです。
 移住時の時世は、天明の大飢饉のさなかで、往時の手打は、飢饉のうえに風水害が重なり、まさに、飢餓状態にあったといわれます。

 いまでは、鹿屋串良まで高速道路もでき、鹿児島から2時間足らずで着いちゃいます。
 232年前はどうだったのでしょう。数隻の手漕ぎ舟で手打湾から出航し、それも何回かに分けてのピストン輸送で、吹上浜に上陸。陸路一週間程かけて新天地へとなったようです。
 橋口満氏の著書「甑島移住史」に詳しく記されている。

 先祖から繋がるご縁によって、富ヶ尾地区と手打麓地区とは、これまでも幾重もの交流が図られてきた。
 今回も、私たち二人への歓待振りはすごい。夜の懇親会も30名程が参加されて、賑やかに故郷の話に盛り上がることでした。昼は地元市議もこられ、夜は県議が顔をだされる。森山裕大臣も、地元回りををされたそうです。衆参同日選挙になるんでしょうか。

 ところで、「甑島移住史」の著者(編集者)の橋口満氏も富ヶ尾の移住記念式典に招待されていた。現在、千葉県から志布志市に移り住んでおられます。久し振りにお目にかかって、いろいろお話を伺うことでした。
 その橋口満さん、3月22日に会社経営者たちの集まりで、講演を頼まれているとのこと。
 演題は、「甑島の呼称(呼び方・読み方)問題について」らしい。私も拝聴したいところです。

 また、お話ししましょう。