日記・談義坊 /

東京薩摩川内会&近畿薩摩川内会


東京と近畿で開催される薩摩川内会の総会に参加してきました。

東京は、委員長として来賓扱いで、大阪は、個人的な参加として。

東京では、甑島出身者20名近くが来られていました。下甑は、手打、青瀬、長浜の関係者が7名。東京は馴染みが薄いので、もっぱら下甑のテーブルに座り込んでノン方・おしゃべりすることでした。上・里の席では、「なぜ、上島の議員はいないのか」と、残念がっておられたので、「次は、上、下一人ずつは、実現しましょう。お力添えを」とお願いすることでした。

来賓として、参議院議員・元副議長の山東明子さんがいらっしゃった。毎年来られるそうです。木佐貫投手後援会の関係とか。

山東さんを見て、40年ほど昔のことを思い出すことでした。

彼女が、参議院選挙に出馬したときのことです。記憶が曖昧なのですが、有名企業の後ろ盾があって、資金も豊富だったのでしょう。ステ看(業界用語なんでしょうか?布張りのプリントされたもの、使い捨て看板)5千枚を1晩で大阪北部・京都市内に立てるアルバイトにかり出されたことがありました。私たちは、二人組で、守口、門真、寝屋川、枚方方面を1千枚ほど設置したのです。電柱や街路樹など、ほとんどが、違法設置だったと思います。夜の10時頃から翌朝の6時位まで。1週間ぐらいは、お目こぼしをもらって、人目につかせてもらったのでしょう。いつの間にか、きれいに撤去されていました。聞いた話では、警察(?)に始末書を出す係りもいたようです。ステ看は、水商売の営業看板を含めてイタチゴッコだったようです。

久しぶりに山東明子さんを見て、てなことを、思い出すことでした。しかし、お若いですねー。

31日は、近畿薩摩川内会に参加。下甑関係者は、4名。お誘いの電話を頂いたKさんを始め青瀬から3名。手打、長浜、瀬々野浦からは、参加者はありませんでした。甑島出郷者は、高齢化も進み、合併後の近畿薩摩川内会には、馴染みが薄いようです。

私も初めてでしたので、関西甑島連合会総会ほど熱くなることはありませんでしたが、ですが、楽しく最後まで懇談・ノン方させてもらいました。強烈な、陳情お願いも受けることでした。

いつまでも、故郷に掛ける想いは強いようです。故郷の活性化・振興は、このような出郷者の皆さんの想い・力をお借りし、一緒に汗をかく必要があるのかも知れません。「宝の島」甑島を、島民、出郷者共々に、我が事として、実感したいものです。

折角、大阪に出てきましたので、夜は川西の娘家族と食事をし、一晩泊まることでした。

こちらの孫たちも、夏休みの最後の最期まで、宿題は残していたようです。6年生の長男もやりかけの「自由研究」も諦めたのか、学校には持参しなかったようで、机の上に残っています。

不真面目な性格、勉強嫌いは、じいさまに似たのでしょうか?

娘は、この子たちがいけるような高校あるんだろうかと、今から心配しています。

私たちは、大人になった姿、見届けることはできないでしょうが、「どうにか、なるんじゃない」。

川西の孫たちも、またお会いしましょう。ごきげんよう。