日記・談義坊 /

東京在住の里出身のM氏からメール


西日本新聞記事を読んだという東京在住の里村出身のM氏から、お電話とメールを頂いた。

市役所担当にも問い合わせたが、納得できないとのこと。

国土地理院でこれまで表記していたものを一地方行政が地名訂正申請書なるもので変更できる問題です。

そんなに日本の歴史は浅い物でしょうか。里には縄文遺跡もある。

行政が地名訂正申請書なるもので変更できるとするならば、戦前と同じ日本になりそうで怖い物を感じております。

行政に拘わっておられる皆様は「公僕」であると言うことをお忘れ無く。市にお伝えください。

甑島の読み方についての参考資料もいただきました。

昭和51年12月刊行の「甑島風土記覚書」(橋口三郎著:里村)の目次の冒頭「甑島素描」には著者によって「こしきじまあらまし」と読み仮名がふられています。

また、甑島の民俗風土を同地の古老などを徹底取材した民俗学専門の松竹秀雄氏が昭和48年3月に刊行した甑島分類郷土史「甑島物語」の3ページではわざわざ甑島に「こしきじま」としっかり仮名がふられています。

さらに、平成8年刊行の「甑島~その風貌と略史」(塩田甚志著:塩田氏は里村に伝承された古武道鞍馬揚心流の家元で甑島の民俗研究家)の19ページには「その名を甑島(コシキジマ)と言う」と明記されています。

ちなみに、この塩田甚志氏は上記の著刊行に先立つ「里村郷土史・上巻」(昭和60年3月刊行)の里村郷土史編集委員会委員長を務めた方です。ただ、その「里村郷土史」中に多数出てくる「甑島」には、一切読み(ルビ)がふられておりません。島外の読者の存在を意識していなかった所為なのでしょう。

また、青年時代、民俗学者の柳田国男から直接に薫陶を受けて甑島の里村に帰郷し、鹿児島民俗学会、日本民族学会に所属しながら甑島の民俗学研究に没頭、鹿児島民俗学会誌で頻繁に筆を揮っていた小川三郎氏の著に「甑島」(かごしま文庫・春苑堂出版・平成13年5月)がありますが、その表紙のタイトル「甑島」には、「こしきじま」とはっきり仮名表記が付けられています。

(つづく)