日記・談義坊 /

Y彦兄を、明石市民病院に見舞う。


3月議会開会中に、明石市に住む従兄弟のY兄の長男から「父の病気が急に悪化し、明石市民病院に入院した。医者から、身近な人には連絡したら、と助言された」とのことで、電話をもらった。万が一の場合、議会休んででも駆けつけなければ、と、一般質問の通告はしていたものの気になって、取り下げようかとも思ったのですが。躊躇することでした。

12月末には、手打に帰省し、家屋敷の片付けなどに、夫婦で頑張っていたので、手伝いも出来ないこと、口先だけで謝りながら、「無理しないでよ」と語っていたのでした。

Y兄とは、お互い男兄弟がいなくて、本当の兄弟のように、小さいときから、頼ってきた仲だったのです。叔母も私を実の子のように、扱ってくれたものです。

「Yっちゃん」「このちゃん」と呼び合いながら、いつの間にか、孫の守をする歳になっていたのです。

議会が終わるのを待ちきれず、小学校の卒業式を欠席して、明石に行ってきました。

Y兄、私の顔を見るなり、顔をくしゃくしゃにして、泣いています。体を起こすことも出来ず、手足も動かせません。言葉も十分には、発すること叶わず、自分の思いが伝えられない、歯がゆい様子がわかります。

奥さんにこれまでの経過を聞かせて貰いながら、Yちゃん、定期的に健康診断受けていたと思っていたが、病院・検査嫌いだったんだと思うことでした。

昨年春、田舎に帰省したあと、おしっこの出具合が悪いということで、泌尿器科の診察を受けたとのこと。

検査の結果、前立腺癌と診断され、手術はできない状態だったとのこと。抗がん剤や放射線治療は受けていないことから、内服ホルモン療法での治療だったのでしょう。

12月31日年の晩に写した家族写真では、子ども3人、孫6人に囲まれて、健やかに微笑んでいます。

正月は、怠いのか、寝ていることが多かったそうです。

やっと、病院に行くも、がん細胞は、リンパを含め、脳にまで転移してしまったようです。

食事も摂れず、点滴だけで命を繋いでいる状態です。しかし、頭だけはしっかりしていて、記憶も確かです。

長男夫婦と孫2人も来ていたのですが、「もういいから、帰れ」と促す。

私も、相手しながら、疲れさせるのではと気になりながらも、最終の新幹線にて日帰りを止めて、長居を決め込むことでした。

家族写真を見ながら、「孫6人もいて、賑やかで、楽しいでしょう」には、「いや、うるさいだけ」と。夜中の世話が大変そうなので、プロのヘルパーなどに頼んだらと、話しても、奥さんが側にいないと寂しいのか、首を縦に振りません。

昼と夜が逆転しているとのことで、付き添いも大変です。

夕方になって、痛いと訴える。首筋の後ろに出来ている、腫瘍のコブが痛いのでしょう。痛み止め(鎮痛剤・モルヒネ)は、体に毒だと思っているみたいで、我慢していたのかもしれません。

「Yちゃん、痛いの我慢する必要ないよ。痛みの方が体に悪いと思うよ。鎮痛剤も良いものが出来ているから、看護婦さんにまかせたら」ってことで、鎮痛剤を追加投与してもらうことでした。

別れ際、涙流しながら、「みよこさんにもよろしく」と。手打のことなど、いろいろ語りたかったのでしょうが、私も、涙見せないようにこらえながら、お別れすることでした。