日記・談義坊 /

調停委員には教養が必要!?


甑島簡易裁判所の調停委員、古希を迎える来年には卒業であります。私自身が関わった調停事件は、3、4年に1件程です。つい先日の調停は、不調(和解・解決に至らず)になり、本裁判になっているようですが、やっぱり気になります。

昨年は、日本での調停制度施行90周年、歴史ありますね。

民事裁判って、自分の正当性の主張、証明、相手方の不当性を突きながら、闘うというイメージがあります。

民事調停制度の根底には、「お互いさま」の精神があると言われます。調停委員は当然に力を注ぐ、裁判官も力を注ぐ。申立人のおっしゃっていることはわかります。でも、ちょっと相手方の言い分も聞いてあげてください。主張し合うばかりでなく「お互いさま」という気持ちになれば、トラブルも案外すっと解決するかもしれない。そのお手伝いをしてあげるのが民事調停制度じゃないかってことです。調停は話し合いでトラブルを解決します。双方が納得すれば解決で、裁判のように“判決に従う”というのではありません。だから調停に勝ち負けはありません。

ところで、「調停委員には教養が必要である」って言われて、ドッキっとする私であります。辞めるときになって、考えてもしょうがないのですが、教養ってなんでしょう。

教養の定義を辞書的に表すと、「単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる」(広辞苑)となります。

「調停委員には教養が必要である」と言われることの法律的な根拠は、調停委員の任命資格として、民事調停委員及び家事調停委員規則第1条が「人格識見の高いもの」と定めていることに基づいているようです。

こんな規定があるんだったら引き受けなかっただろうに。「難しくないんだが」「普通人の感覚で」「裁判官じゃないから」などと口説かれたのでした。そうですよね、「あなたは人格識見が高いから」などと請われたら、尻込みし、なり手いないでしょうから。

「調停時報」(日本調停協会連合会・発行)の受け売りで、「調停に関する教養」について、書こうと思ったのですが、またの機会にします。

久しぶりに裁判官・判事を囲んで、甑島の調停協会の研究会・懇親会をしたので、「調停と教養」について考えたのでした。

ところで、これまで、判事さん(裁判官)って、堅物で、庶民感覚っていうか社会性に乏しく、専門バカで、付き合いにくい人種と思っていましたが(先入観でですが)、今度の判事さん、気さくな方で、話し易い方でした。

あと1回位、調停事件、ご一緒に関わりたかったなぁーと思うことです。来年の3月までの任期中に、調停あるでしょうか?

眠くなってきましたので、調停のCMを最後に。

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