日記・談義坊 /

始業式の「ある日」の思い出


昭和52年4月、門真小学校の始業式の時のことです。1学年300人程の児童生徒が、新たに進級する学年毎に校庭一杯に並んでいます。1800人もの子どもは、体育館には、収まりきれません。

私は、前年の6年担任から、3年5組の担任となり、子どもの前に新鮮な気持ちで立っているのでした。朝、事務(庶務)の先生から一人の欠席届があった旨、連絡を受けていました。担任の紹介をされ、校長先生のお話も済み、5組クラスへ移動です。我が城であります。新人であろうが、ベテランであろうが、一人の城主として、君臨できる場所であります。保護者が、当たり外れを云々する(噂する)気持ちがわかります。

担任として自己紹介をします。おもろい先生としてアピールするため、鹿児島弁で、「んだもこうりゃいいけんなもんな、あたいがどんのちゃあわんなんだ、ひにひにさんどもあるもんせば、きれいなもんごわんさー・・・・」の歌を披露して、「わからへんやろう」「関西弁だけが日本語じゃないんやでー」「だけど、先生、大阪弁、すきや」「大阪弁おしえてな」と大阪大好きを印象づけることでした。

好きなところに自由に座って貰ったのですが、一人欠席のはずなのに、空き席なしで、43人座っています。私は、一人も知っている子はいません。「先生を知っている人」と聞くと2,3人の子が「しってるでー」。6年担任児童の妹や弟です。

名簿を見ながら、名前読み上げて、確認です。欠席連絡の子は、当然に返事無しです。43人座っているって事は、一人紛れ込んでいるはずです。

「名前呼ばれなかった人」と聞いてもザワザワです。子ども達も、その子を知らないのです。謎がとけました。門真小学校での、クラス替えのルールに因がありました。

2年生の時点で、担任がそれぞれ自分のクラスの児童を6等分して振り分けていくのです。なぜ、7等分じゃないのか?2年生の担任が、3年担任にスライドしても、全て新しい顔ぶれになるように、つまり、子どもにとって、新しい担任が誕生するようにです。

2年5組の児童は、3年5組には、一人もいないってことです。

S君は、2年5組からの進級児童だったのです。だから、知り合いの子ども達がいなかったのです。S君は、家庭の事情もあって、欠席が多い子だったようです。始業式、久しぶりの登校だったのかもしれません。

S君とは、このことがあって、お友達になりました。担任の女先生の領域を侵さない範囲で、放課後などトランプなどして遊んだことを思い出します。

次の年には、教師を辞めて、手打にUターンしてきましたので、S君のその後はわかりません。

Uターン後も、6年で担任した子たちとは、同級会に招待されたり、連絡とりあっていたこともあって、強く印象に残っているのですが、3年の時の子達は、ほとんど忘れてしまっています。ごめんなさい。

6年生児童とのご縁といえば、教え子の子ども兄弟を西山小「ナポレオン留学」と鹿島小「うみねこ留学」にお世話したこともありました。

教え子たち、もうすぐ50歳になるんだ。早いもんですね。懐かしいことです。