日記・談義坊 /

上棟式・もち投げ


谷山、杉上(婿)宅の上棟式(棟上げ)でありました。もち投げもするとのこと。今時、鹿児島では、もち投げ、あまりしないらしい。私は、孫の守をしながら、上棟式に参加する加勢人や親戚の人たちに持たせる蒲鉾・つきあげを買いに串木野まで走ることでした。

もち投げは夕方5時からと確認はしていたのですが、頼まれものを市内(イオン)で買い求めたり、孫にゲームをさせたりしているうちに、3時半になっています。「さァー、もち投げに行くぞ」と、スタートするも車遅々として進まず。

照國神社の六月灯の影響なのか、渋滞。娘から電話、「いまどこ、餅拾い、一杯集まってんだから、間に合う」。「ちょっと間に合わないかな、ごめん、始めといて」「そんなわけいかないよ。子ども達も楽しみにしてんだから、急いでよ」

子ども達も、「じいちゃん、急いで、追い越して、追い越して」と、せき立てる。運が悪い時ってあるんだ。坂之上の踏切で、ストップくらっちゃった。

やっと現場に着いてみると、子供からお年寄りまで大勢の人が集まっている。私たちを待って、もち投げも遅らせたみたい。

「お父さん、上がって、もち投げしてください」の声に、直対応して、2階のベランダ付近とおぼしき所に、駆け上っている私でした。餅も相当数用意されていたみたい。お金も、別個、1円から500円玉まで、包まれて、作られていた。投げても投げても、一杯ありました。田舎のもち投げより、時間も量も多かったように思う。

35年ローン、気が遠くなるような長さですが、健康に気を付けて頑張って欲しいものです。

仮床を敷いての祝宴・ノン方も楽しく弾むことでした。

そう、そう、中卒で大工見習いで雇われているTくん、まだ働いていました。子供っぽい顔ながら、目つきもしっかりとして、職人らしい、雰囲気も感じられました。朝昼逆転の中学時代と違って、夜遊びも少なくなっている様子。自分の仕事現場を見せたかったのかも知れません。中学プータロー時代の友だちも餅拾いに集まっていました。ただでさえ就活大変な時代、彼らがやりがいのある、生き甲斐を感じることのできる場所見つかるでしょうか。単車で帰っていく、15、16歳の少年の後ろ姿を見送りながら、孫達の将来とダブらせながら案ずることでした。

Tくん、4カ月頑張っていますから、秋の落成式の時には、逞しくなった彼の笑顔に、また会いたいものです。

Tくんの給料、雀の涙ほどらしいですが、それでもお父さん感謝されているとのこと。毎朝、弁当を作って持たせてくれるらしい。夜遊びして回り、朝は学校にもいかず、寝込んでいた、息子のこと思うと、ありがたいのでしょうね。

頭領も大事な他人の子を預かっているんだから、頑張ってや。