日記・談義坊 /

ゆったりと時は流れる


3月、4月と時化欠航を気にしながら、往ったり来たりの生活をしていましたが、ここ10日間は、島でのんびりと過ごすことでした。晴耕雨読って云うような洒落た生活ではありませんが、妻美代子さんの野菜作りの手伝いとして、畑の耕耘をしたり、庭木の剪定をしたり、パソコンからも離れての日暮しでありました。

とは言うものの、瀬々野浦の知人を訪ねたり、御用聞きに、里、上甑を回ったり、結構、飛び回ってもいたのです。支所や商工会への挨拶回りもでしたが、里では、Uターン、Iターンの若者達とも合うことが出来て有意義な時も過ごせました。84歳でアートに目覚めた時彦じいちゃんの、アートギャラリーも訪ね、ギャラリーマネージャー兼カフェ店長として甑島に昨年移住してきた「まきまき」さんともお話できました。

また、上甑では、青年団の再結成の動きもあるとのこと。期待したいものです。

鹿島では、支所前の丘公園の草原で弁当を食べ、大の字になって昼寝をすることでした。田舎では、時間の流れはゆったりとです。

でも、25日、26日は忙しい思いをすることに。議会総務委員会の下甑視察に同行させてもらうことにしたのです。鹿島での化石発掘体験、子どものように夢中になって、ハンマーを振るうことでした。巻き貝とアンモナイトの化石を、小さな欠片でしたが、ゲットできました。

夜も、ノン方に同席したかったのですが、下甑体協の総会や手打地区コミ協の総会に出席。夜は、妻美代子さんと遅い夕食。積もる話を(一週間も顔を突き合わせていると積もっていないか)・・・。

手打小訪問では、1年から6年までの各クラスに分かれて、給食をいただきました。私は6年クラスの12名の児童とおいしい給食を。私の小学校時代は給食はなく、昼は、家まで食べに帰っていたことを話すことでした。

少子化の今では想像もつかない、すし詰め状態のクラスでした。55人定員ぎりぎりの一クラス53名の2学級。桃組、梅組と呼んでいました。通学は裸足だったような気がします。遠足などくつ履いていたんですから、普段はどうしていたんでしょう?

久しぶりにパソコンを開くとメールが100以上も。大事な会議などのチェックをしました。連休明けから忙しくなりそうです。頑張りませんなら。