日記・談義坊 /

明後日は母が逝って二・七日


何やかにやで忙しい10日間でした。日記・ブログもお久しぶりです。

6月議会中の25日早朝、妻美代子さんから電話です。「お母さんが急変らしいよ、急いで行ってみて」

駆けつけてみると、胸にAEDを着けて、看護士さんが汗びっしょりで心臓マッサージしています。私の顔を見ると、担当の方がほっとされたようで、事情説明です。

朝6時頃部屋をのぞいて見ると、いつものようにベッドに寝たままの姿で、体操をしていたとのこと。私が訪ねるたんびに、朝起きたらこうするんだと手足をバタバタさせての自己流体操を見せてくれたものです。

6時半に再び覗いて見ると口から泡を吹いて意識もない状態だったとのこと。看護士さんらも大慌てだったことでしょう。日直の方が、私たち家族への連絡に難儀をされたらしい。甑島だから連絡ついても駆けつけるのは午後になると思われたのでしょう。それまではどうしても生きていてもらおうと、心肺停止状態の母にAEDを使っての蘇生に必死だったようです。

私が議会中で本土に滞在中だったのが幸いしました。お医者さんも、母の厳しい状況を説明されて、「どうされますか」と救急搬送や延命措置についての希望を聞かれる。

「皆さんに迷惑をかけない範囲で、静かに看取らせていただきたい」とお願いする。母の枕元で、生まれ故郷の手打で最後を看取ってやれなかったお詫びをしながら、これまで育ててもらったお礼など声に出して語ることでした。

静かに見守っていると、意識は戻らないものの、血圧は普通になり心臓もしっかり動いている様子。先生も「やっぱり病院で検査をして適切な処置をしてもらいましょう」と、森園病院で検査をしたあと医師会病院に入院治療をとなったのです。

検査の結果、「くも膜下出血」とのこと。レントゲンをもとに説明を受ける。

脳の血管が破裂し、血液が脳内に溢れている状態らしい。ただ、瘡蓋(かさぶた)が破損部を覆い、小康状態を保っているらしい。この状態が何日続くのか分からないという。

落ち着いたら、孫やひ孫にも最後のお別れをさせよう。甥や姪っ子にも連絡して会ってもらわなければ。

完全看護だから泊まり込みでの付き添いは無理しなくてもいいとのことで、8時になったら様子を見てどうするか決めようと、のんびり構え、朝から飯食っていなかったことから、近くのそば屋で食事をしていたのでした。「病院に来て欲しい」との電話。私が来るのを待っていたかのように、6時35分静かに息を引き取った。

寝たきりになることを嫌がっていた母でしたので、あっけない最後を「よかったね」と喜んでやりませんなら。

93年と3カ月の人生でありました。

60年程前、弟(啓二)を幼くして亡くし、30年前父(是熊)と死別、4年前妹(耕子)が死去、寂しい別れも何度もありました。

最近の口癖、「私より先に逝かないでよ」。親不孝しなくてすんだこともほっとしています。

お通夜も葬式も手打の自宅で行いうことにしました。父と母が難儀・苦労して建てた家で。田舎方式で。

本土の親戚や同寮議員の皆さんにはご迷惑をおかけしました。お許し下さい。